司馬遼太郎の歴史小説『花神』は、
幕末から明治維新にかけて活躍した大村益次郎(村田蔵六)の生涯を描いた作品です。
冒頭、筆者が大阪大学内の摘塾跡を訪れるところから物語は始まりまります。
適塾はあの福沢諭吉も通った塾で、蔵六も塾頭迄上り詰めます。
そして宇和島藩に招かれた蔵六は西洋兵術や蒸気船の建造に取り組み、その技術力も発揮します。
その後、幕府の蕃書調所の教授となり、江戸で蘭学塾を開いて西洋の学問を教えます。
しかし、故郷の長州藩に引き立てられ、再び故郷へ戻り、維新の動乱に身を投じる事になります。
第二次長州征伐では、近代的な兵制を導入し、奇兵隊などの農民兵を組織して幕府軍を破ります。
戊辰戦争では、新政府軍の東征軍総司令官として指揮を執り、
鳥羽・伏見の戦いなどを勝利に導き、江戸城無血開城にも貢献しました。
明治新政府では兵部大輔(陸軍大臣)に就任し、日本の近代軍隊の創設に尽力します。
しかし、徹底した合理主義と、旧来の武士の考え方との対立から、反発を招くことになり
最後は、攘夷派の刺客によって襲撃され、非業の死を遂げます。
この『花神』と言う物語は、徹底した合理主義者として、その天才的な頭脳で日本の近代化を成し遂げた大村益次郎の波乱に満ちた生涯を描いた作品です。その生涯は、まさに革命の「種」を蒔き、花開いた途端に散ってしまった「花咲爺(花神)」のようであったと評されています。
大村益次郎ゆかりの地を巡りませんか?
《山口》これらのスポットは山口市鋳銭司に集まっており、まとめて巡ることができます。
①大村益次郎生誕宅跡https://yamaguchi-tourism.jp/spot/detail_12209.html
②鋳銭司郷土館ttps://yamaguchi-tourism.jp/spot/detail_12215.html
③大村益次郎墓https://yamaguchi-tourism.jp/spot/detail_12419.html
《島根》
<浜田市>
・浜田城跡: 1866年の第二次長州征伐で大村益次郎率いる長州軍の攻撃を受けて落城した場です。 現在は石垣が残り司馬遼太郎が執筆にあたり現地を訪れ,その歴史を偲んで揮毫した「浜田藩追懐の碑」が建てられています。https://kankou-hamada.or.jp/guidepost/6264
<益田市>
・稲積山: 大村益次郎が百姓に身をやつして登り、益田市街から幕府軍の陣容を偵察したと伝えられている場所です。https://www.kankou-shimane.com/destination/46712
・扇原関門跡: 石州口の戦いの火蓋が切られた場所です。長州軍の攻撃に最後まで抵抗して戦死した浜田藩士、岸静江の姿に感銘を受けた大村益次郎が、丁重に葬るよう命じたとされています。https://www.kankou-shimane.com/destination/47012
・妙義寺: 石州口の戦いの際に、大村益次郎率いる長州軍が本陣と野戦病院を置いた寺です。https://masudashi.com/kankouspot/kankouspot-687/
<江津市>
江津本町: 長州軍が陣を置き、大村益次郎も滞在したとされています。https://www.city.gotsu.lg.jp/site/gotsu-navi/4468.html


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